今年で115回目を迎えた、ボストン・マラソンの日。
前日に降った雨も上がり、雲に合間から、春の光が注ぎました。
ロングウッドのキャンパスに向かう途中、道はすでにブロックされており、
警備の人も、救護隊の人も、上気した表情で、
今か今かと、ランナーを待ち構えています。
Swartz教授は講義中、
「今年は開始時刻が早くなったから、心臓破りの坂のある家で応援ができないのよね」
とぼやいていました。
街中の人が、世界から集まったランナーを応援するのが、慣習となっているようです。
それは、外国から来た学生や研究者を温かく支える、
この街の人々の気概にも、ぴったりと合っていました。
それまで、マラソンにまったく興味のなかった私も、
野次馬根性で、コンベンション・センターの前まで行ってみることにしました。
道沿いは観客で埋まっています。
開始時刻から5時間を過ぎ、最後に歩こうとしているランナーに向かって、
街の人は、口々に声を掛けます。
「君なら、できる!」
「歩くな、走れ!」
「あの角を曲がったらゴールだよ!」
公立図書館の前に設けられたゴールは、
カウベルの音と歓声で、沸き返り、
ゴールに飛び込んでいくランナーの姿が見えました。
笑顔でゴールする人。
汗だくで、力尽きる人。
呆然と、空を仰ぐ人。
そんなランナーを待ち構えている、家族、友人、恋人…。
前日までは、固くつぼみを閉ざしていたニューベリー街の桜も、
ランナーの熱気にほだされてか、一気に咲きほころんでいました。
下宿屋に戻ると、日本から来て完走したという女性ランナー2人に会いました。
「ボストン・マラソンは、ランナーにとって、聖地のようなものです。
厳しい資格タイムをクリアし、しかも、
前回の自分の記録よりも良いタイムでないと、
出場資格が得られません」
完走した彼女たちの顔には、静かな自信に満ちていました。
今日の大会では、ケニアのランナーが新記録を出したけれども、
ボストン・マラソンのコースは特殊のため、正式な世界記録とはならないのだとも、
教えてくれました。
それでも、ランナーたちは、ゴールに向かって走り続ける。
たとえ、公式記録として後世に残らなくても、
この街を走りぬいたことは、
揺るぎのない記憶として、自分の中に刻み込まれるから。
自分の墓碑銘は <作家、そしてランナー。 少なくとも最後まで歩かなかった> としてほしい
―村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』
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