2011年4月19日火曜日

ボストン・マラソン

今年で115回目を迎えた、ボストン・マラソンの日。

前日に降った雨も上がり、雲に合間から、春の光が注ぎました。
ロングウッドのキャンパスに向かう途中、道はすでにブロックされており、
警備の人も、救護隊の人も、上気した表情で、
今か今かと、ランナーを待ち構えています。

Swartz教授は講義中、
「今年は開始時刻が早くなったから、心臓破りの坂のある家で応援ができないのよね」
とぼやいていました。

街中の人が、世界から集まったランナーを応援するのが、慣習となっているようです。
それは、外国から来た学生や研究者を温かく支える、
この街の人々の気概にも、ぴったりと合っていました。

それまで、マラソンにまったく興味のなかった私も、
野次馬根性で、コンベンション・センターの前まで行ってみることにしました。
道沿いは観客で埋まっています。
開始時刻から5時間を過ぎ、最後に歩こうとしているランナーに向かって、
街の人は、口々に声を掛けます。

「君なら、できる!」
「歩くな、走れ!」
「あの角を曲がったらゴールだよ!」

公立図書館の前に設けられたゴールは、
カウベルの音と歓声で、沸き返り、
ゴールに飛び込んでいくランナーの姿が見えました。

笑顔でゴールする人。
汗だくで、力尽きる人。
呆然と、空を仰ぐ人。

そんなランナーを待ち構えている、家族、友人、恋人…。

前日までは、固くつぼみを閉ざしていたニューベリー街の桜も、
ランナーの熱気にほだされてか、一気に咲きほころんでいました。

下宿屋に戻ると、日本から来て完走したという女性ランナー2人に会いました。

「ボストン・マラソンは、ランナーにとって、聖地のようなものです。
 厳しい資格タイムをクリアし、しかも、
 前回の自分の記録よりも良いタイムでないと、
 出場資格が得られません」

完走した彼女たちの顔には、静かな自信に満ちていました。

今日の大会では、ケニアのランナーが新記録を出したけれども、
ボストン・マラソンのコースは特殊のため、正式な世界記録とはならないのだとも、
教えてくれました。

それでも、ランナーたちは、ゴールに向かって走り続ける。
たとえ、公式記録として後世に残らなくても、
この街を走りぬいたことは、
揺るぎのない記憶として、自分の中に刻み込まれるから。


自分の墓碑銘は <作家、そしてランナー。 少なくとも最後まで歩かなかった> としてほしい
                       ―村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』

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