2011年4月12日火曜日

夫との再会

エイプリル・フール。ボストンは、冗談であってほしいような雪に見舞われました。

翌2日土曜日は一転し、やわらかな春の日差しに包まれました。
出張の合間を縫い、東京からやって来る夫に会うため、NYに向かいます。

バスの最前列に、身を乗り出して座っていたところ、
運転手さんに気持ちが伝わったのか、
猛スピードで飛ばしてくれ、バスは予定よりも45分早く到着。

リンカーン・センターの前まで、地下鉄に飛び乗り、駆け足で行きます。

ホテルのロビーの隅に、見慣れた靴の先が見えた途端、
それまで張りつめていた気持ちが、一気にほぐれていくのを感じました。

本当に来てくれたんだ。

肩に頭を乗せると、いつもの優しい香りと、懐かしいぬくもりがしました。

ホテルに荷物を預け、セントラル・パークに出掛けると、
春の午後を楽しむ家族ずれやカップルでいっぱいでした。
そぞろ歩きながら、それぞれが考えた、子供の名前を挙げていきます。

私「あなたが留学していたストラスブールに流れるライン川、
      フランス語読みにすると、ラン、よね。
      女の子の名前には良いと思うけど、どう?」
夫「Rhinは男性名詞だから、駄目」

日・英・仏・独の文法と語感をクリアしようとすると、
子どもの名前を考えるのは、結構、難しい作業になります。

アッパー・イーストにあるNeue Galerieに向かい、
「ウィーン風」との触れ込みにやたらと弱い夫と、1階のCafe Sabarskyで休憩。
(実際に、「ウィーン」の名に恥じず、チョコレートのケーキが美味です)

クリムトやエゴン・シーレの間にあった、暗い色彩の絵を怖がっていると、
それはシェーンベルクの作品でした。
シェーンベルクは音楽家としては知っていたのですが、
「彼は絵画の教育も受けていたのだよ」と、夫に教えてもらいました。
夫は、いつも、私の知らなかった世界を広げてくれます。

夕刻、JPMorgan時代の元同僚J、
Whartonヘルスケア・プログラム同期のKなどが集まって、
カジュアルなメキシカン・ディナーを一緒にしました。
「お仕事が大変なのに、アメリカまで来て大変ね」と声を掛けられた夫、
「My wife is my most important business(奥さんが一番大事な仕事ですから)」と、
当然のように答えたのには、一同、大爆笑。
さすが、自他ともに認める、「 共済   恐妻組合員」。
模範回答も、板についています。

日曜日は夫の同僚で、私の大学同期でもあるTKと朝食。
コロンビア大学に社費留学中のTKは、
会社の将来、帰国後の仕事について、思いを巡らせているようでした。

その後、レンブラントの特別展を観に、Frick Collectionまで行きました。
「レンブラントがサスキアを描いたように、僕も君の絵を描くことができたら」
と、婚約中に気障なメールを書いたのを、夫は覚えているのかしら。

午後、電車でワシントンDCに向かいます。
動物園の近くのホテルに到着し、荷解きもほどほどに、
Dupont Circleで、Whartonヘルスケアの同級生Jに会いました。
Jは、オバマ大統領のヘルスケア改革立案に携わった後、
現在も、そのフォローアップをしているそうです。
向上心と使命感に溢れているJには、いつも刺激を受けます。

月曜日の朝、
「寝言で『医療改革』って言ってたよ」と夫に告げられ、
恥ずかしい思いをしました。
どんな夢を見ていたのか、さっぱり思い出せませんでしたが。
午前中は、ポトマック河畔の桜を見に行きました。
ジェファソン記念館を向こうに見渡しながら、
タイダル・ベイスンに届かんばかりに、
日本から送られたソメイヨシノが咲き誇っています。


ワシントンの桜に、東京の、そして、被災地の桜を想いながら、
お昼の飛行機で、ワシントンからボストンに戻りました。

夫に会って、そして咲き誇る桜を見て、ほっとしたのでしょう。
なんだかだるい気がします。
花疲れ、という季語を教えてくれた、亡き大伯母を思いながら、床に就きました。

火曜日。
夫に起こされてみると、意識が朦朧としています。

熱を測ってみると、36.7度。
なんだ、平熱じゃない。
その割には熱感がある。
もう一度見てみると、39.7度の間違いでした。

夫に会って、知恵熱でも出たのでしょうか・・・。

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