2011年3月10日木曜日

小学校の担任の先生に再会する

ボストンに来て一番会いたかった人がいます。
それは、大学の教授でも、ビジネススクール時代の友人でもなく、
小学校1年生の担任だった、B先生です。

5歳の時、父の転勤でフィラデルフィアに来た際、
英語を一言も話せない状態で、地元の公立小学校に放り込まれたのですが、
その時に優しく受け入れてくださったのがB先生でした。

とても熱心な先生で、ABCも知らなかった私に対して、
毎日、放課後に英語の猛特訓を施してくれました。

まずはアルファベット、次に単語のカードを手作りして、少しずつ渡してくださいました。
私が単語を覚えると、一枚一枚に、可愛いシールを貼ってくださいます。
この単語カードは、今も大切に手許に置いている宝物です。

やがて、与えられた単語を使って、簡単な作文をする宿題を頂くようになりましたが、
これには、母と私で、辞書と首っ引きになって格闘したのは、今では良い思い出です。
"gill"(魚のエラ)とか、"sill"(窓の桟)などという単語を初めて見て、
英文科卒の母もウンウン唸らされました。

英語の音とリズムをちゃんと覚えられるように、詩の暗唱をする宿題も頂きました。
子供向けの詩を、自分で朗読してカセット・テープ(時代を感じます)に吹き込んでくださるので、
それを次の日までに3編、暗唱するのです。

クラスでは、各生徒の特長を伸ばすよう、先生は手を差し伸べてくれました。
例えば、社会科見学で、りんごの果樹園に見学に行った際のこと。
りんごがどのようにできるか調べる子もいれば、
りんごがどのように収穫され、保管されて、八百屋さんに届くのか教えてもらう子もいます。
その時のことを、絵に描いて残す子もいれば、作文を書いて残す子もいます。

クラスが完全にバラバラかというと、そうではなくて、
最後に、農家の方から頂戴したりんごを持ち帰り、
クラスでアップル・ソースを作って、みんなで美味しく一緒に頂きました。
りんごの芯をくり抜いたり、火を使ったりするのを、危ない、と言って大人が止めるのではなく、
どうやったら安全にできるかを、授業見学に来たお父さんお母さんに教えてもらいます。

ある日、上級生に、日本人はアメリカの敵だから日本に帰れ!と言われて、
私がショックで泣き出し、学校に行きたくないと言ったことがありました。
折しも1984年、日米経済摩擦で、ジャパン・バッシングの嵐に見舞われていた年です。

B先生は、次の週を、急遽、「日本について学ぶ期間」にしてくださいました。
そして、日本とアメリカが40年前に戦ったことについて話されました。
「アメリカやほかの国々に包囲されたため、
日本には石油がなくなって、戦争をするしかなかった、
日本はアジアの他の国々に攻め入ったのは確かに悪かったけれども、
そう追い込んだアメリカだって悪かったのよ」

先生は、どこで見つけられたのでしょう、小泉八雲の「稲むらの火」のお話を探し出され、
クラスで寸劇をしました。
「日本には、自分のことをなげうって、他の人を助ける、素晴らしい人がいたのです」と言って。

小学校2年生に進学する際、16人のクラスのうち、
1人のクラスメートには小学校1年生を再履修させる、という決断を、B先生は下されました。
その子とその親は、落第したことを、自然なことと受け止めています。
また、その子を、からかったり、見下したりする子どもは、一人もいませんでした。
それがAちゃんにはきっと良いことなの、ゆっくりやれば、きっとできるようになるから頑張れ、
と、クラスメートもその親も、応援するのでした。
このことは、結果平等の国から来た我が家には、大きな驚きでした。

『いま、できないことに目を向けるのではなくて、
  少しでもできるようになったことに目を向けよう。
  ひとつのことを、一人ひとり、違う見方で見るんだ。
  それは、素晴らしいことで、みんな違うところを大事にしないといけない。
  自分には判らないことは、できる人から教えてもらい、
  自分にできることは、みんなで分かち合えば良いんだ』

日々の学習を通じて、B先生には教えて頂いたと思います。

B先生と久しぶりに再会できたのは4年前。
MBA留学のため、4年前にフィラデルフィアに戻った際、母校を訪ねたところ、
B先生はすでに退職されていました。
お会いできなくて、私は大いに落胆いたしました。
ところが、同僚の先生が気の毒に思って、B先生に連絡を取ってくださったお蔭で、
その1か月後、先生と23年ぶりに再会することができました。
卒業前、両親と一緒に、B先生ご夫妻へのお礼の席を設けられたのは、嬉しい思い出です。

今日のランチでは、帰国し、結婚してからの生活について御報告をすることができました。
小柄な先生が、華奢な肩を揺らして笑ってくださると、なんだかとてもホッとしました。

先生は、現在、ボストン市内の貧困地域にある小学校で、ボランティアとして働いています。
学級崩壊している中にあっても、子供一人ひとりが落ち着いて、自分に向き合えるよう、
お手伝いをしている、と聞いて、感銘を受けました。

「モンテッソーリやシュタイナーの教育法について読む機会がありましたが、
  それらが、B先生がクラスで教えてくださった方法と、自然と合致することに気が付きました」
と申し上げました。
すると、「そんな大変なこと、私、考えてみたこともなかったわ」と仰って、
先生はいつものように、クスクスとお笑いになったのでした。

2 件のコメント:

  1. 素敵な先生!!
    子供の頃であった大人って、大人が考えている以上に人格形成に影響を与える!と思うので本当に素晴らしい先生に出会えてよかったね!と思います。
    日本人って、どうしても同じ経験から、同じ感じ方をすることを前提に教育する節があるけれど、同じ経験をしても、違うことを感じるのが本当だと私は思います。だから素敵な教育だなぁって思います。
    もし。自分に子供を育てる機会があったら、自分と同じことを感じないかもしれないけれど、自分が経験して良かったと思うことはたくさん経験させてあげたいなぁと思います!

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  2. この先生に出会えたのは、運が良かったこともありますが、
    小学校を一生懸命探してくれた、両親の努力の賜物でもあると、最近は思うようになりました。

    学ぶという行為は楽しいということを、
    B先生と両親が、身を持って教え、導いてくれたのだと、
    自分が親になる段階になって、ようやく気付くことができました。

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