木の梢に雪が積もっています。
目を凝らすと、それは、ほころび始めた白木蓮の花でした。
ニューヨークに到着する際、春の訪れに触れた瞬間でした。
土・日は、NYを訪れました。
7年前までエコノミストとして勤務していた、
JPモルガンの元同僚との約束があったためです。
日曜日の早朝、270 Park Avenueの本社前で待っていると、
ニューヨークに到着する際、春の訪れに触れた瞬間でした。
土・日は、NYを訪れました。
7年前までエコノミストとして勤務していた、
JPモルガンの元同僚との約束があったためです。
日曜日の早朝、270 Park Avenueの本社前で待っていると、
乳母車を引いたRichardがゆっくりと歩いて来ます。
乳母車の中は、去年7月、韓国人の奥さんとの間に生まれた女の子Anaちゃん。
前に「写真を見せてね」と言っていたら、なんと本人を連れて来てくれたのでした。
大きくて賢そうな鳶色の瞳、薔薇色の頬をした美人ちゃんです。
だっこをしても、人見知りすることなく、にこにこしています。
「ウィークデーは奥さんにこの子を任せっきりだからね。
週末は、僕がこの子を連れてオフィスで仕事をしているんだ」
JPモルガンのリスク・マネジメント・チームを率いる、多忙なRichardですが、
育児にきちんとコミットする姿勢に感心しました。
近況報告し、日本経済の見通しについてディスカッションをした後、
Richardから、JPモルガンの日本の震災支援について、話を伺いました。
Richardによると、
JPモルガンのダイモンCEOは、震災1週間後に社員激励のために訪日。
500万ドル(約4億円超)の寄付を発表したそうです。
東京からの撤退を検討する外資系企業も多い中で、
不退転の姿勢を、トップ自らが示したと聞いて、心強く思いました。
JPモルガンと日本との縁は、
実は関東大震災にさかのぼります。
1924年、震災の翌年に、
日本政府が初めて発行した米ドル債であった、
震災復興公債1億5千ドル分を引き受けたのがJPモルガンです。
米国の連邦準備制度が整うまでは、
現在のFRBに匹敵するほど強い公的な性格を持っていた、
JPモルガンらしいエピソードです。
その後、子どもの教育について話が盛り上がりました。
英国出身のRichard曰く、
米国の初等教育では、基礎学力を磨きにくく、躾が重視されていない。
基礎学力の訓練に重点を置く韓国か英国で、小学校は通わせたい。
ただし、韓国などアジアの国々では、抽象的な概念を取り扱う教育が弱い。
抽象的な概念を取り扱い、解のない問題に取り組む姿勢が、実社会では必要になるが、
この分野に強い米国で、高等教育は受けさせたいとの由。
なるほどなあ。
夜、ボストンのバスターミナルに到着し、
Brooklineの宿舎まで帰る際、
タクシーの運転手さんが、携帯電話で家族に電話しています。
(本当はマサチューセッツ州法で運転中の携帯電話使用は禁止されているのですが…)
時計の針は11時を回っていますが、どうやら子どもと、それも複数の子と話しているようです。
「テレビがついているだろう、消したとお前が言っても、後ろで音が聞こえているぞ」
「2階のXXに代わってくれ…いま1階でテレビがついているかい?」
「XXはテレビがついているといっているぞ。 なんで嘘をつくんだ。
お前は10時以降はテレビを見ないという約束を破っただけではなくて、
パパに嘘をついたんだぞ。前にがっかりさせられたよ。
お前が良い子にしないと、俺はお前にとって良いパパにはなれないよ
("If you don't treat yourself well, you cannot expect me to be a good dad")」
「いいか、明日は学校なんだぞ。ママに電話を代わってくれ。
もう寝なさい、おやすみ」
電話の向こうで、子どもが泣いているのが漏れ聞こえてきます。
黙って耳をそば立てているだけで、この運転手さんの気持ちが伝わってきて、
胸が押しつぶされそうになりました。
「いい父親、母親になるって大変ね」と声をかけると、
運転手さんはため息をつきました。
「そう、生活のために、俺は深夜も働かないといけない。
いつも子供たちのそばに居たいと思っても、そうはいかないんだ。
でも、家から離れていても、5人の子供の父親である責任は変わらないからね。」
ハイチから来たという運転手さん。
彼の母国では、去年の地震、そしてその後の混乱と感染症で、30万人が亡くなりました。
「俺の国の人たちは、日本の人たちの気持ちがよく判る。
どんな大変な時でも、家族を守って、しぶとく生き抜くしかないよ。
明日はきっと今日よりも良くなると信じよう。」
これまで頂いた励ましの言葉の中で、一番、説得力がありました。
二人の父親に会って、国や環境が変わっても、
子どもの幸せを思う親の気持ちは同じなのだと、
感慨が深かった一日でした。