2011年3月30日水曜日

各国子育て事情

木の梢に雪が積もっています。
目を凝らすと、それは、ほころび始めた白木蓮の花でした。

ニューヨークに到着する際、春の訪れに触れた瞬間でした。

土・日は、NYを訪れました。
7年前までエコノミストとして勤務していた、
JPモルガンの元同僚との約束があったためです。

日曜日の早朝、270 Park Avenueの本社前で待っていると、
乳母車を引いたRichardがゆっくりと歩いて来ます。
乳母車の中は、去年7月、韓国人の奥さんとの間に生まれた女の子Anaちゃん。
前に「写真を見せてね」と言っていたら、なんと本人を連れて来てくれたのでした。
大きくて賢そうな鳶色の瞳、薔薇色の頬をした美人ちゃんです。
だっこをしても、人見知りすることなく、にこにこしています

「ウィークデーは奥さんにこの子を任せっきりだからね。
 週末は、僕がこの子を連れてオフィスで仕事をしているんだ」
JPモルガンのリスク・マネジメント・チームを率いる、多忙なRichardですが、
育児にきちんとコミットする姿勢に感心しました。

近況報告し、日本経済の見通しについてディスカッションをした後、
Richardから、JPモルガンの日本の震災支援について、話を伺いました。

Richardによると、
JPモルガンのダイモンCEOは、震災1週間後に社員激励のために訪日。
500万ドル(約4億円超)の寄付を発表したそうです。
東京からの撤退を検討する外資系企業も多い中で、
不退転の姿勢を、トップ自らが示したと聞いて、心強く思いました。

JPモルガンと日本との縁は、
実は関東大震災にさかのぼります。
1924年、震災の翌年に、
日本政府が初めて発行した米ドル債であった、
震災復興公債1億5千ドル分を引き受けたのがJPモルガンです
米国の連邦準備制度が整うまでは、
現在のFRBに匹敵するほど強い公的な性格を持っていた
JPモルガンらしいエピソードです。

その後、子どもの教育について話が盛り上がりました。

英国出身のRichard曰く、
米国の初等教育では、基礎学力を磨きにくく、躾が重視されていない。
基礎学力の訓練に重点を置く韓国か英国で、小学校は通わせたい。
ただし、韓国などアジアの国々では、抽象的な概念を取り扱う教育が弱い。
抽象的な概念を取り扱い、解のない問題に取り組む姿勢が、実社会では必要になるが、
この分野に強い米国で、高等教育は受けさせたいとの由。

なるほどなあ。

夜、ボストンのバスターミナルに到着し、
Brooklineの宿舎まで帰る際、
タクシーの運転手さんが、携帯電話で家族に電話しています。
(本当はマサチューセッツ州法で運転中の携帯電話使用は禁止されているのですが…)
時計の針は11時を回っていますが、どうやら子どもと、それも複数の子と話しているようです。

「テレビがついているだろう、消したとお前が言っても、後ろで音が聞こえているぞ」

「2階のXXに代わってくれ…いま1階でテレビがついているかい?」

「XXはテレビがついているといっているぞ。 なんで嘘をつくんだ。
  お前は10時以降はテレビを見ないという約束を破っただけではなくて、
  パパに嘘をついたんだぞ。前にがっかりさせられたよ。
  お前が良い子にしないと、俺はお前にとって良いパパにはなれないよ
  ("If you don't treat yourself well, you cannot expect me to be a good dad")」

「いいか、明日は学校なんだぞ。ママに電話を代わってくれ。
  もう寝なさい、おやすみ」


電話の向こうで、子どもが泣いているのが漏れ聞こえてきます。
黙って耳をそば立てているだけで、この運転手さんの気持ちが伝わってきて、
胸が押しつぶされそうになりました。

「いい父親、母親になるって大変ね」と声をかけると、
運転手さんはため息をつきました。

「そう、生活のために、俺は深夜も働かないといけない。
 いつも子供たちのそばに居たいと思っても、そうはいかないんだ。
 でも、家から離れていても、5人の子供の父親である責任は変わらないからね。」

ハイチから来たという運転手さん。
彼の母国では、去年の地震、そしてその後の混乱と感染症で、30万人が亡くなりました。

「俺の国の人たちは、日本の人たちの気持ちがよく判る。
 どんな大変な時でも、家族を守って、しぶとく生き抜くしかないよ。
 明日はきっと今日よりも良くなると信じよう。」

これまで頂いた励ましの言葉の中で、一番、説得力がありました。

二人の父親に会って、国や環境が変わっても、
子どもの幸せを思う親の気持ちは同じなのだと、
感慨が深かった一日でした。

2011年3月26日土曜日

現場の声をプロジェクト提案に織り込む

日中は研究を進めた後、
夕刻はハーバード・ビジネス・スクールに在籍している、K先生にお会いしました。
K医師もフルブライト生で、国務省に提出したプロジェクト提案にご賛同いただいた一人です。
プロジェクト最終提案の詳細を詰めて行くにあたり、
調査項目や調査実施範囲について、実務面からのアイディアを伺うことができました。

米国のビジネス・スクールの1年目は、想像を絶する忙しい毎日です。
私はストレスから、機能性胃腸障害を起こしたこともあります。
そんな中、貴重な時間を割いて相談に乗っていただき、本当にありがたかったです。

帰宅すると、東京医科歯科大学の医療管理学(MMA)コースの同級生で、
北里大学病院のO先生(ご専門は神経難病)から、メールを頂戴しました。

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地震の直接の被害は建物の損傷など北里大学病院や医学部で軽度ありましたが、
機能停止するような状況ではありませんでした。しかし電力の問題は大きく、多
数かかえていた在宅人工呼吸器療法中のかたがたの安全確保のための対応で次の
1週間は忙殺されました。

同時に被災地の人工呼吸療法の患者さんたちが非常に困ったことになっており、
被災地中核病院のキャパシティーもすぐにいっぱいになるため、そこから広域輸
送で関東や日本海側にヘリで搬送するというシステムの構築(神経学会で受け容
施設リストをつくり、依頼施設からの要望をマッチングするようにし、厚労省、
内閣府、防衛省、自衛隊と交渉し、移送手段を確保する)、私自身も今週は福島
県いわき市(原発の問題がおこっているところです)いわき共立病院にいって、
2日間ヘリがとばず足止めをされた末(その間被災地の診療を手伝ってきました)
人工呼吸器装着患者を自衛隊ヘリで2往復して引き取ってきました。

現地の先生方も文字通り不眠不休で働いている方も多く、今は緊張してできてい
ると思いますが、こんな状態が継続したあとの疲労は大変なものと思います。さ
まざまな支援が必要なのですが、それを現場の方々がコーディネートするのは時
間的にも体力的にも無理です。ボランティアもタダ来られても迷惑になってしま
うとう現実があります。私たちが搬送をした日(亀田総合に8名北里大学東病院
に5名の人工呼吸器装着患者さんを搬送、15分おきにヘリが飛び立つ状況)には
水道が復旧せずギブアップとなった病院から百数十名の患者さんを受け入れる準
備に奔走されていました。

今後ますます慢性期医療、介護も必要となり、現地には「災害医療・介護コー
ディネーター」が必要です。数か月単位で腰を据えて援助する人材がなければ、
現地の疲弊はさけられないと思いました。困っている人がいて、助けたい人がい
て、その間をコーディネートする能力が脆弱なために、うまくいっていないと思
います。

現地に先生方にできるだけ多く、この苦労を発信することを約束してきましたの
で、MMAとは直接関係なくて恐縮ですが書かせていただきました。なにかのこと
で関わることがあれば、気にとめてください。

また、現地ではまだガソリン渋滞がありました。原発の風評被害で物資も思うよ
に届きません。

ひとりひとりができることを少しずつでも行い助け合うことを長期間にわたって
行うことが必要だと思います。

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O先生のご指摘の通り、
被災地には、医療者だけではなく、ロジスティクスをアレンジする、
「災害医療・介護コーディネーター」も必要だということは、
阪神淡路大震災の際にも課題として挙がっていました。
さらに、医療者の自己犠牲に甘えることなく、
システマティックに機能する、持続可能な医療・介護制度が、
今回のような緊急の救護活動だけではなく、
通常の「仕組み」としてが必要だということを再確認しました。

国務省に提案しているプロジェクトが、その一助になってほしいと願うばかりです。

2011年3月25日金曜日

バレエ・ダンサーを通してみる個性と肥満

最近は震災関連の記述が多かったですが、本来の研究も進めています。
今週は台湾について分析しており、
特に日本の介護保険制度に相当する「老人長期照護保険」について調査をしていました。

台湾の人口予測データを見ていると、奇妙なことに気が付きます。
2060年の予測では、新生児の男児の数が女児の数よりも5%も多いのです。
Economist誌が昨年、Gendercideに関する記事を掲載して議論を呼んだのですが、
こんなにもはっきりとデータに出るとは…。
Swartz教授も、「空恐ろしいわね」と眉をひそめました。

昨日の夜は、バレエを学生券(student rush ticket)で見ることができました。
振付師Jorma Eloによるモダンな公演"Elo Experience"の初日に立ち会えました。
こちらのバレエは、全体の統一感は欠けますが、それぞれのダンサーが非常に個性的です。
パンフレットを見ると、皆、ダンサーの出身がウクライナ、バハマから日本まで幅広いです。

躍動する美しい肉体に見入っていたのですが、公演が終わって辺りを見渡すと、
ダンサーの3倍くらいの体積がありそうな人々がいっぱい…。

アメリカの肥満の問題は深刻だと再認識すると同時に、
自分の体重管理もしっかりせねばと肝に銘じた夜でした。

2011年3月24日木曜日

ライシャワー日本研究所で祖父の知人と再会する

事実は小説よりも奇なりと申しますが、
亡くなった祖父の知人、香田洋二氏と、ボストンで12年ぶりにお会いすることになるとは…。

今日は午前中にSwartz教授にデータの分析状況について報告した後、
ライシャワー日本研究所のセミナーに出席しました。
そのパネリストの一人だったのが、
同研究所のシニア・フェローの香田さんです。
元海上自衛隊海将・第36代自衛艦隊司令官でもいらっしゃいます。

セミナーでは、自衛隊と米国海軍の被災者支援活動について、詳細なご報告を頂きました。
あまり報道がされていない分野ですが、地道な活動を続けられていることがわかりました。
(私自身を含め)聴衆は食い入るように、香田さんのプレゼンテーションに聴き入りました。

セミナー終了後、うっすらとした記憶を辿ってご挨拶に伺い、
佐世保でお会いしたことはございませんかと切り出したところ、
祖父とのご縁が明らかになりました。
奥様にもお会いでき、人と人のきずなの大切さについて、思いを新たにしました。

2011年3月23日水曜日

ケネディ・スクールでのセミナー

お昼に医学部図書館主催のメディカル・データベースの講習に参加した後、
ハーバードの政治・行政大学院であるケネディ・スクール(HKS)にて、
昨夕はセミナーに出席しました。

栗原先生(HKSフェロー)
―震災に対する初動は非常にスムーズに行った
―ただし、24時間経過後の混乱が目立った

Dr. Golay(MIT)
―先週のMITのセミナーでもヘッド・スピーカーを務めた
―日本の原発は誘致の難しさを反映して一か所に発電機を集中させる
―カナダで1か所の発電所に8基あるのが最大だが、発電量は日本より少ない
―中国にある1か所を除いて、すべての原発はプラグイン電源を使用している
―今回の福島原発の問題で、原発の設計上の脆弱性が明らかになった
―放射線性セシウムなど放射性物質は半永久的に残る
―Clean upをどうするか、10年以上は時間がかかる、費用も予想を超えて膨大になる
―電力不足への対応は今後の課題
―左派の原発への反発をどうコントロールするかは米国にとっても問題に

土田先生(関西大学)
―文化圏の違い:東北地方は日本の伝統的な農村地域
―東北では外部とのコミュニケーションが寸断、efficacyも低い
―東京では「自分のことは我慢しないといけない」という意識が広まる
―仮説1:日本人の「平等思考」
―仮説2:被災者はまだ現実を受け止める心理的な段階に至っていない
―仮説3:自然との一体感、受け身の考え方
―原発問題に対しては、時計の針は元に戻せない、政府・東電発表を信じるスタンス
―原発問題に対する過剰反応が長期的な経済的被害、差別を生じる
―まだ問題は始まったばかり、今後の影響は深刻

Dr. Herman B. "Dutch " Leonard (HKS&HBS)
―9.11の際は世界中が自分はアメリカ人だと思った、現在は世界の心は日本とともにある
―日本のこれまでの災害に対する備えによって、死傷者は想定よりも少なくて済んだ
―原発の被害は現在のところ、実際はコントロールされている
―中央集権的なシステムは情報集約・対応が困難
―分権化した先decentralized pointでも対応できるのが望ましいが、末端が最も被害を受けている
―greater amount of ingenuityが起こると考えられる
―将来の見通し:非常に長期で我慢強い復興努力が求められる
―"acceptance without defeat"(敗北なき受容)を目指すべき
―今後は分権化した危機対応体制の構築が必要
Q1:東北地方の人々の「疎外感」と、関東・関西地方の反応
A1(土田教授):そもそもの文化が違う、東北の人々の性格は静かでおとなしい

Q2:復興する際の経済成長モデルについての再考、特に首都圏への人口・経済の集中
A2(Dr. Leonard):災害への対応をdecetralizeすることを主眼に置いていたが、経済
21世紀になって死傷者が増えたのは人口が高リスク地域に集中していることが背景にある

Q3:復興への期間と対応
A3(Dr. Leonard):日本は備えがあった、また人々の準備もできている
9.11の後に株式市場の回復には最低30日かかるとみられたが4日で復興

Q4:日本の原発の設計構造に問題があったのでは
A4(Professor Golay):日本の原発はactive safety feature電力を使って資材・物質を動かすことを前提としている。2つ建設中の原発があるが、これから設計の変更が予測されるが、コストとの兼ね合いが問題となる

Q5: 情報のフロー(地方政府、企業、中央政府)
A5(土田先生):地方政府も影響を受けて情報の統制が取れなくなった
(Dr. Golay):情報フロー。東電への怒りには、第三者としては理解に苦しむ
(Dr. Leonard):high level of novelty、
(栗原先生):まだ政府も東電も学習段階にある

尚、このセミナーでは、田村耕太郎 前参議院議員と隣席でした。
田村さんは、本日のライシャワー研究所のセミナーでスピーカーとして参加されます。
財政負担、施策方針についてお話を伺いたいと思っています。

2011年3月22日火曜日

ルームメイトと新学期の大学院へ

ブログの更新が遅れてすみません。
週末の間、外界の情報を一旦遮断し、
自然の中に身を置くことで、心身ともに回復できました。

遠路ワシントンDCとNYから足を運び、
外に連れ出してくれた大学の同級生CとTに感謝です。

日曜日の夜は、東京大学大学院Global Health Leadership Programの同級生、
Mさんと合流できました。
女医で、経営コンサルタントとしてのバックグラウンドがある彼女も、
このプログラムの一環で、HSPHに派遣されます。
同じ部屋をシェアするルームメイトでもあり、大変心強いです。

主人がエジプト出張から戻って来ました。
渡航禁止命令は解除されたとはいうものの、
ジャスミン革命が余波が残る国内の情勢は予断を許しません。
また、隣国リビアの情勢が悪化する中にあって、内心ハラハラし通しでした。

久しぶりに主人の声を聴き、ほっとして、日曜日の夜は泥のように眠ってしまいました。
目が覚めると、日本は春分の日でお休みでしたが、HSPHでは春休み明けの講義初日。
M先生と30分歩いて、本校舎Kresge Buildingまでたどり着くと、
キャンパスは学生の熱気に溢れています。
1年制の大学院生にとっては最後の学期ということもあり、学生は真剣な眼差しです。

午前中、指導教官Swartz教授の「高齢化と医療経済・政策」の講義に出席しました。
高齢化が急速に進む日本が抱える問題を、改めて認識するとともに、
現在進めているプロジェクトの位置づけを再確認することができました。

Swartz教授、実は先週、凍りついた玄関で滑って、左手首を骨折。
ギプスをした痛々しい姿です。
が、本人は「私はOne-handed Economistになりたいと思っていたから、
ちょうど夢が叶ったのね」と、あっけらかんと笑い飛ばしてしまいました。

(『一方では(on the one hand)…、また他方では(on the another hand)」と言辞を弄し、
 経済学者が経済予測・政策についてはっきりしたスタンスを取らないのに対し、
 トルーマン大統領が業を煮やして叫んだセリフが、
 『片腕のエコノミストを連れて来い(Give me a one-handed economist)!』だったという、
 有名なエピソードを踏まえています。
 エコノミスト出身の私にとっても耳が痛ーい言葉です)

難しい問題、困難な状況に直面した際、
それを悲観するのではなく、ユーモアの力も借りて乗り越える強さを、
Swartz教授には学びました。

午後、窓の外を眺めると、雪が降っています。
ボストンの春はまだ遠いようです。

2011年3月19日土曜日

引越し、そして大学の仲間とのプチ同窓会

今日はお引越しです。

3週間住んで、ようやく慣れてきた宿舎を離れます。
学校からは少し離れますが、閑静な住宅街の中にあるB&B(民宿)に移ることになりました。
日本人女性の経営する一軒家で、HSPHの研究者も長期滞在している所です。

大学のゼミの同級生がNYとワシントンDCからボストンを訪れています。
午後からは、市内の喧騒を離れて、
南隣にあるロードアイランド州の海沿いの小さな町Westerlyで、
少しゆっくりと考え事をすることにしました。

いま、夕日が沈んでいきます。
静かな夕暮れです。